明治大学SF研究会『廃部』の報に接し
創立56年の歴史の幕を想いつつ
痛告、集え!『解散式』2024年6月-7月予定
(リンク・フリー、拡散大歓迎!)
OB・OG会は、2024年12月14日(土)開催に決定しました!!
詳細はこちら。
辰年は荒れるとの言葉通り、今年は年頭から「ゴジラ-1.0 」のごとく暴れ捲っている。 元日の能登半島沖地震、羽田での航空機事故、そして我々に降り掛かった驚愕の事態! 明大SF研究会の『廃部』である。
先ずはその経緯を伝える現役幹事長のメールを転載いたします。
明治大学SF研究会 創立55周年記念OB・OG会 代表幹事 深谷 栄 様
突然のご連絡失礼致します。
今年度の明治大学SF研究会幹事長を務めております、本学4年生の橋本と申します。
件名の通り、本年度を持ちましてSF研究会を解散する運びとなりましたため、ご連絡差し上げました。
コロナ禍を境に縮小傾向にあった本サークルの活動自体が停止し、そこからの復興も厳しいままに、現在3年、4年のみの少人数でかろうじて団体を維持しておりました。
そのような折に、現在顧問を務めておられる教授が本年度でご退職されるため、これを期に解散する運びとなった次第です。
本来であれば諸先輩方に広く周知すべきところではございますが、OB・OG様方の連絡先を全く存じ上げず、長らく使用されていなかった部室を捜索した際、昨年度頂戴したようである貴重なCD-ROM(註・明大SF研究会創立55周年記念OB・OG会用に制作されたDVD-Rのこと)と寄贈依頼(註・米沢嘉博記念図書館への寄贈のこと)の伝達を拝見し、こちらに連絡させて頂きました。
適切な折にご連絡をお返しする事がかなわず、大変申し訳ありません。廃部に伴う物品整理の際に、貴重資料等があればこちらで自主的に寄贈を掛け合ってみます。
また、併せてのお願いになり大変恐縮でございますが、こちらの廃部伝達のご連絡先を把握していらっしゃるOB・OG様方にお伝えして頂くことは可能でしょうか?
廃部に伴う物品処理は2月18日より順次行う予定です。
長い歴史のある当団体がこのような結果になりましたこと、お詫び申し上げるとともに ご容赦頂けますと幸いです。
何卒よろしくお願い致します。
2024年1月19日
明治大学法学部4年・幹事長
(註は転載者によるものです)
この連絡を受けた創立55年記念OB・OG参加者のコメントは以下のごとく、言葉にならない者や時代の趨勢かとの感慨を示す者もありました。
◯ななんと! 言葉もないなあー
けれども、これまでバトンを繋いでくれてありがとう。
◯えええっ!ビックリ仰天です!!
寂しいなぁ(Cony sad)
残念無念
◯寂しいですね。
廃部ですか!?
絶句
◯せっかく、OBOGの交流が始まったと思ったのに?
◯廃部ですか
びっくりです。
でも、この幹事長さん、しっかりした文章を書く人ですね。
連絡がもらえただけでも良し、と考えるべきですかね。
本当に残念です。
◯現役の人たちの気持ちはいくばくかと思います。
◯廃部?うーん残念です。
◯今、娯楽フィクションは異世界、転生、タイムスリップものが主流で改めてSFにカテゴライズする意味も意義 も無いわけで、ま、自然な成り行きなんだと思うわ。
近い内に「SF」なんちゅうジャンルも無くなっちゃうかもな。
◯誕生(創部)から死まで関わるってのは“その存在の全てに関われた”感と言うか、 ある種の達成感があるよな。
闘病中や先に亡くなった方々には残念ではある。見届けて欲しかった。
〇SF研の解散は寂しい限りですが、今まで続いて来たことに感慨深いものがあります。
皆さんにご苦労様と言いたいです。
一昨年の創立55周年記念OB・OGG会を想い
この『廃部』の報に接して、初めに思ったのは一昨年(2022年)行った創立55周年記念OB・OG会のことで、今思えば線香花火が燃え尽きる手前の「灯滅前の一瞬の強き輝き」か? ということと、それは何ものかが与えてくれた貴重な贈り物であったということでした。
創立の頃
さて、振り返れば学生運動が席巻し神田お茶の水界隈が神田カルチェ・ラタンと化し、街頭で石が飛び交いヘルメットとゲバ棒姿が日常のこととなり、大学がスト・ロックアウトの時期。1968年に川瀬氏が3年生の時、何とか数名の実質会員と幽霊会員とで立ち上げした明大SF研も、いつの間にか56年の月日を経ておりました。
創世期は部室もなく、お茶の水の「丘」というクラシックをBGMに少し照明を落とした「純喫茶」(嗚呼~懐かしき響き)で、例会をほそぼそと開いておりました。
なかなか学内では話題に出来ないSFの話を、映画「2001年宇宙の旅」の話を、学生特有の独善的捉え方で交わしたものでした。
部室獲得の頃
次は、当時の明大生のバイタリティーを示すがごとく部室獲得の実力行使の時代。
一期はS.45(1969-1970)年頃
生田校舎でのサークル長屋(ブレハブの工事現場の建物一間4.5畳程度)への潜り込み占拠を経て、堂々ここにMSFC生田支部あり。
二期は和泉校舎S.48(1973)年頃
和泉校舎サークル棟の使われていないトイレ室を実力占拠。大学は何を思ったか、夏休み中にそのトイレの改修工事を行い、その向かいの空きスペースを床張から内装まで手直してSF研に提供。その後、サークル棟改築後に入居、堂々ここにMSFC和泉支部あり。
三期は駿台校舎S.49(1974)年春
和泉校舎で味をしめたメンバーは記念館脇にあった学生会館の二階の部室と部室の空きスペース、明かり取りの窓1間(1.8m)幅の所に、舞台の大道具よろしく扉を作り2.4m?2.4mの空間を部室とし、その後、多くの部員の活動の場となり、現在の部室へと繋がったわけでした。堂々ここにMSFC駿台支部あり。
文化部連合会正式加盟(大学公認サークル)の話
同好会として大学内に届けた後5-6年経ち、大学および他サークルと同様の諸権利(部室の永久貸与や予算獲得・広報誌掲載等)を得るため、文化部連合会の役員(政治活動やデモを組織していた各セクトのメンバー)の目を誤魔化し、S.49(1974)年、文化部連合総会で加盟希望の大演説を行い他サークルを丸め込み、翌年の7月正式承認を獲得するに至り、今日迄の永きに亘りその名を文化部連合会に刻んだわけです。
ですが、セクトの役員達と渡り合うのは流石にノンポリSF研究会としてはビビリましたなァ~。しかしながら、デモには有志が隊列を組んで奮闘したり、学生会館の自主管理を担ったこともありました。当時の会員の皆様ご苦労さまでした。
日常の活動簡単に
ところで、日常の活動もご存知の通りやっておりましたことも、お忘れなく。
春の新入生獲得活動、各支部および全体の例会、サークル誌発行、学際での発表、ショート映画の制作・上映、毎日部室でのダベリング、はたまた麻雀の集いと夏・春の合宿(サークルは合宿をするものだと思っていた)。
能登半島にも夏の合宿でお世話になりました。この度の震災で被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
米澤嘉博さんの想い出
みなさんご承知のコミケ創立者の一人で、米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館の米沢さんのSF研究会在籍時の逸話を、会報「エスエフ」掲載の人物紹介より転載します。
1974.3 『エスエフ』No.23 米沢嘉博(渉外)工-3
漫画のことなら、知らないことは一つもないと云うマンガの虫。又、女性でも敵わないと云う程の料理人、MSFCでは右に出る者は居ないであろう。
とにかく本の山の中で、料理を作る姿は絵になっている。 5月には下宿を追い出されるという。悲しい星のもとに生まれた生田随一のSF狂。
1976.5 『エスエフ』 米沢嘉博(渉外)工-5
既に信仰の対象に迄なっている、天然記念物的存在。
年に数回部室に現れ、温かい微笑みを浮かべて帰って行く。
当分は在学していらっしゃる見込み。
ちなみに、1979年まで8年間大学に籍を置いていた。
「解散式」やろうよ! 青春の一時期、伴に過ごしたあの頃の事をもう一度振り返り、解散式に集いたいと 思います。
そして最後に、
廃部決断をした現役幹事長のリーダーシップに!
良く、孤独に耐え決断したことか、その勇気を讃えるとともに、自由に涙せよ。
苦渋の決断をするリーダーシップが、これから社会に出て糧になることを期待し エールを贈ります。
明治大学SF研究会 創立55周年記念OB・OG会
代表幹事(元 第6代幹事長) 深谷 栄
追 伸
創立期から10年程度の記録(機関誌同人誌・各種資料)は、「明治大学SF研究会創立55周年記念OB・OG会記念資料」としてをDVD-Rに纏めております(註・55周年は創立年より数え年で55年目の2022年11月6日に行われました)。
明治大学SF研究会のOB・OGでご希望の方は無料会員登録のコメント欄にDVD-R希望と明記して深谷からのご連絡をお待ちください。